人生楽しまなくちゃソンソン・・・社交ダンスは人生ザンス


















山中健嗣さん(67歳)
 東京都新宿区の学生でにぎわう繁華街に「双葉会」という社交ダンス教室がある。そこは今宵も心地よいダンスミュージックが流れている、軽やかで都会の喧噪をものともしない優雅な空間であった。何もかもがゆったりとしていて、どこか夢の世界に足を踏み入れたようだ。ダンサーは皆、ピンと背筋を伸ばし、向き合う互いが笑顔で音楽に合わせ、空間を揺するごとく体を動かす。心に触れることを楽しんでいるかのようだ。
 その中に、周りの人々を優しく気遣う山中健嗣さん67歳の姿があった。慣れない方には、ダンスの相手をしたり、時には相談にのったりもする。「気配りが大変ですね」と声をかけると、「僕はただの盛り上げ役ですから」と山中さんは照れていた。「僕らの青春時代は終戦直後で、娯楽は映画かダンスしかなかった。だからダンスは青春なのです」その青春を、いつまでも自分のものにしていたいという。

 初めてダンスに出会ったのは、山中さんが早稲田大学在学中、ちょうどダンスブームの頃であった。当初は大学のサークルの運営資金稼ぎにと、ダンスパーティーの券を売ることが目的だった。ダンスの苦手だった山中さんは、パーティー券を売りながら、少しずつダンスに触れていった。ダンスは異性との甘い触れ合いだった。その相手の手の温もりと鼓動を感じる度、青春の喜びと不安とが混沌としてくる。そのようなダンスパーティーの甘酸っぱい思い出は、今だに心の隅に生きているという。
 そんな忘却にあったダンスを蘇らせたのは、昭和40年代初頭のある日のことだった。そのとき勤めていた電電公社(現在のNTT)の同僚が、突然ダンスをやってみないかと誘ってくれたのである。あの甘酸っぱい学生時代の思い出が、寂しかったことも含めて様々に甦った。そのとき、今度こそはかっこよく踊れるようになろうと決心したのである。ダンスを踊れることはステータスだった。それはダンスしか娯楽がなく、ダンスを通じて人間を追求し、人生を楽しむことができた時代だったからであろう。
 電電公社での新規事業が軌道に乗り、山中さんはその新会社を任されるという極めて名誉なことがあった。しかし運命とはなんと自由に人間を弄ぶものであろう。体の弱いご両親のことが問題になったのである。山中さんは心ならずも退社を余儀なくされた。その後、大学時代にアルバイトをしていた塗料会社で多くの資格を取っていた山中さんは、さらに腕を磨き、ついに日曜大工の講師としてスカウトされたのである。そして今はダンスで心と体を磨きながら、その日曜大工の講習会を兼ねたイベントで講師を務めている。とにかく何事も意欲的に取り組むことが好きだという。それもダンスという心と体の支えがあるからこそである。「年齢を越え、心の触れ合いがはかれるのがダンスの一番の良さである。」

双葉会:03(3208)0155